A.ご指名ありがとうございます。はーらーだたいぞうです。
なんでやねん。
いや、儂か。そらね、わしゃ知らんよ。そんな、著者の名すら知られてないのに、この言葉だけ有名だというこの事実は実は危ない。意味が分からなくとも、なんとな~くそれっぽいなぁ、という、そんな浅薄な納得に陥りかねなくされかねないゆえにな。
んっ。まぁ、戦中派、この語を、今現在が戦時中という含意で用いる処のそれとして儂は用いるが、戦中派からすれば以下のような大意と、これはしかし、儂個人の解釈となろうかもしれぬが、述ぶ。
『死を覚悟することを常とし事にあたる。』
おおよそ、そのような意味と捉う。
世によく云う。
「臨死体験の際には、走馬灯が見える。」と。
個人の生涯の全存在が、一瞬で体感される。とでも云ふべきか。
さすれば思うだろう。
『後悔先に立たず』の後悔が、現前したことを知るだろう。
それはどのような内容だろうか。何のために生を享け、生き、今、そこに至ったか。
それを知る。
どうだろうか。或いは、諸兄らにはわかるやもしれぬが。
………つまり。
極限まで鍛錬を極め、今を知り、己を知る。そして至る後悔の中身。
そうまでして、そのような過程を経て、その上ででも、寧ろ、その上でこそ、主君の為に、仕える。
この意味が、わかるかのぅ。
覚悟の質が、他の道の者とは、異なる者。
士農工商の士たる所以、であろう。
現在の、”士”とは、なんぞや。
と、儂からは問い返させてもらおうか。
Q.ありがとうございました。