例。
時間経過に対して無力である処置や改善策について。
処置が不適切である場合、現状は変わらず、ただそれに伴う他のパラメータが変化した事実だけが残り、結果は全く変わらないかむしろ悪化すらする。なぜなら意味のないパラメータ変動に対して対応した手間が全くの無意味となったか或はむしろ悪い方へ作用したことになり、徒労となった疲労感だけが残るからである。
よって、処置・改善案が有効なものでない限り、それを実行する価値は、何も処置しないことの価値のほうがまだマシである、と結論される。
そのような洞察に基づき、嗔恚は発生する、のかもしれない。
喩えるなら、『賽の河原の石積み』。
そのままである。全くもって。
賽の河原で石を積んでも積んでも、少し積み上がった頃合いを見計らって鬼がその石の積み上がりを崩しにやってきて、崩す。
それについて、瞋恚が起こるだろうか?賽の河原の積み上げ住人なら、怒るかもしれない。