正しい言葉の捉え方


正しい言葉の捉え方

〜とこの人は言った。
〜とこの人は書いた。

これで終わりです。
簡単ですね。このソケットで閉じればすべて正しくなります。

誰が言っているのか書いているのか不明なこともありますが、誰かが言ったり書いたりしたものですからね。とりあえず仮にでもそれを定めましょう。「止まれ」の標識なら警察の方々ですね。

それで家に持ち帰ってその中身を検証してみましょう。一人の時間は大切ですね。

しかしながら、一人で考えていると、主観的なものの見方にとらわれてしまうことが意外とあります。気安く話ができる家族や友達がいれば、一緒に、あるテーマについて意見を述べ合い、客観的な見方・認識、つまり誰にとってもそうである正しい見方、に近づくことが出来る可能性が高まります。昔からあることわざに、「三人寄れば文殊の知恵」というものがあります。それはこのことを表しています。家族や友人は、大切にしたいものですね。

検証してみると、いろんなことが発見できるはずです。

それを形とした主体の、意思や感情や目的や意図などが、わかることがわかったり、わからないことがわかったりするでしょう。

(ちょっと何言ってるかわかんない)と思うことが結構ありますよね。

書かれた文章について述べるなら、わからないのは、自身の知識や経験や文法理解の不足に原因がある場合と、書かれたものに原因がある場合とがあります。

知識や経験不足である場合には勉強に励んでいただくとして、書かれたものに原因がある場合には、書き手が、実際の所理解するのが難しいことを言おうとしている場合、ニュース記事などでやっつけ仕事で書いているため意味が通らないことになっていることに気づいていなかった場合、かしこぶって自分でも意味がわかっていないことをそれらしい形に書いている場合、などがあるでしょうね。

とりあえずやってみて、家に帰って検証・観察し、分かり、徐々に知って学んで学習して、改善し、また、やっていくしかないのです。

ということで、これで、この実験場における私の言葉は、これを読むあなたに、すべて正しく、届くことになりました。

わたしもまた、楽になりました。

何を考え何を書いてもよくなりました。そんなことは、『言論の自由』として日本国により保障されている権利ではあるのですが、この自由には厄介な問題がつきまといます。
それは、書き手の示そうとしたことと、読み手の受け取ること、が合致しないことがまま起こることです。
そうなると、書き手は、「何のために書いたのか、私は。混乱を起こしただけではないか。」と苦しむわけです。
バベルの塔の話みたいですね。

各人、体も違えば育ちも違う、アイデンティティの形成過程における人間関係も違う、何から何まで、かなり違いがありますから、この不一致は当然起こるものです。
ではどうするべきでしょうか?

この事実を認め、書き手と読み手が互いに理解しようと努める姿勢をとることですね。
しかしながら文章の場合は、一方通行です。ゆえに、示そうとするものに対して誠実であろうとする書き手には、細心の注意を払い、読み手として想定される人たちから挙がるであろう反論や同意などの反応をすべて列挙し、それに応える形で文章を推敲し或いは破棄し書き継いでいく、不撓不屈の精神が要請されます。

それでは、私はここで、何を示そうとしているのでしょうか?

それが実は基本的には何もないのですね。

何もないものを、何かあると捏造されることを恐れ苦しんでいたわけです、私の場合は。

それで、その苦が減ぜられ、楽になったわけです。

示さんとする何かがある場合には、上に書いたように強靭な精神力を求められる戦いになり、私がそれに勝てるかは定かではありませんが、そうしようとする気持ちが私には余りありません。戦う相手は、自身の怠惰や無知や怒りなど、己の内なるものです。辛く厳しい戦いになりそうですね。

逃げます。基本的に何もないからです。

そんな感じで、私は書いていきます。

しかし当然、その内容には、わたしの存在・人格のすべてが反映されることになり、その責任はすべて私が負わなければなりません。

まぁ、それは言いすぎかもしれません。出来るだけ言葉遣いには気をつけますが、私も適当なふざけたことも考えますし考えてもいないことやどうしょうもなくつまらないことやポエムみたいな受け取り方がいくらでも幅があるようなふわっとしたことも書きたくなることもあります。法令順守を常に心がけるように注意はしますが。

どんな魔や闇や悪や虚や嘘や誤魔化しや怠慢や偏狭や欠陥やらが出てくるか、そんなことは先んじて知りようもありませんが、実験が始まります。

でも何のためにでしょうか?

と、私は書きました。

一応、私からもキャップを付けておきましょう。

間違いなくそのとおりですね。全く異議がありません。

(ゴーストライターやChatGPTなどのAIを使っている可能性があるのではないか?)と思われるかもしれませんが、無名の者にゴーストライターがいるという話は聞いたことがありません。何の意味が、誰に利益があるでしょうか?
グーグルアドセンスやアフィリエイト広告から収益を上げようという意図がある場合がありえるかもしれませんね。このサイトにそのようなリンクが貼られるようになった時には、その疑いを払うことはできません。
今のところ、その事実は無いため、棄却できます。

ゆえに、
それなりの文字数となりましたが、全体を包括してすべて正しく納まりました。

果たして中身まですべて正しいかどうかは……、正誤判定など不可能な事柄(どう思ったか、どう感じたかなど)もありますし、正誤ある事柄については出来るだけ客観的であろうと努めはしますが至らない点もでてくるかもしれません。どうかご容赦くださいませ。

なんだか紆余曲折してこんがらがった感もありますが、最初の三行の文字列でおわりです。

それでは、ご機嫌よう。