本能寺の変について異説あり(丸い卵も切りようで四角、四角い仁鶴がまあるくおさめまっせ)


ま、要するにやね、「敵は本能寺にあり」ゆうてやな、始まったことになっとるがな、それ誰か聞いたの?てことなるわなまずは、鯰?オオサンショウウオ?昔はナマズが地震を司るなんて聞いたものやが今や昔、なのか?そんでやね、だからまあ、聞いたのは配下の軍勢ね、その足軽やら騎馬武者やら小姓やら光秀軍の人たち、それで、その中の生き残り或いは遠くからそれを聞いた者がやな、言い伝えた、伝聞ということになるわけやけどやな、これ、結構穴がありそうな感じすんやんか、聞き間違えた、てことはないってのは軍勢が実際に予定を変更して本能寺へ進軍したからで、言葉がかなめではないな、それでやね、それで、えー、本能寺に行って、それを小姓に知らされた、桔梗の紋、家紋ね、これを旗印としてたからね明智家は、それを聞いた信長は、「是非もなし」と述べて、それで応戦して、そんで消えた、首は確認されたとかされていないとか、んで、いろんな方面に文を送り光秀は天下人になろうと画策した、ことになっているけども、んで、中国大返しで羽柴秀吉が、山崎の、山崎製パンの戦いで鳥肌中将が、いやいや、「大東亜に眠る英霊たちは、諸君らにふしだらヲさせるために平和の礎(イシズエ)となったのではない」と肉声データを、CDに残していらっしゃったりしたが、それはそれとして、光秀を討ったことになっているけれども首級は挙がった証拠が文献には無い、とされている、わけで、まあ、信長と光秀は生き延びて歴史の表舞台から姿を消して、海を渡り大陸へと至り、そこで何か他のことを始めた可能性も無きにしもあらずと言えなくもないわけやけどもな、それでや、今と違って写真も動画も録音技術も何も無い時代やからな、いくらでも捏造は可能やろそらな、真田の次男坊が実は長男で昌幸の策略として次男とされた、なんて話もあるしやな、今で言う認知戦やな、苫米地博士が提唱した概念とヨウツベで見た気がするが、ナオキマンショーだったかでご出演されておった気がするが、それで、幸村にしてもやな、あれやがな、大坂夏の陣でな、てか、夏と冬の陣、これ、なんか夏の方が先の気がせんか、これは子供の頃の学校の1年の区切り方、年度、では、春・夏・秋・冬としてあるから起こる思い込みなんやが、それいい出したら一年の始まりが寒い季節真っ只中てのも何の根拠がある定めなのかてことにもなるが、それはいいとして、幸村にも異説があって、夏の陣を生き延びて秀頼を連れてウンタラカンタラなんて話もあるが、どうやろな、果たして、しかしながらそうして、つまりなにも確かなことは言えない、とも言える訳で、現代文明が、科学万能主義とも言うべきか、科学を信奉しだしてから、まだ、科学的に人体の寿命だと何らかの見方から仮定した年月はおよそ120年ほどらしいが、その年月が、まだ、科学が科学たってからの年月よりも長いわけでやな、検証できていない仮説状態なわけやな、人体の寿命については、つまり、科学の自己矛盾に気づいてないわけや、ホンマにアホやなぁて思うケロな、てなわけや、あほやろ?ニンゲン、自分を万物の霊長などと思い上がっているのかどうかは分からんが、だとすれば霊の声が聞こえても何の不思議もないにも関わらず霊の話は眉唾物やとハナからマッカに陥ってやな、孝悌忠信、孝、つまり目上の人を敬うこと、一番身近で言えば親、ご両親を大切に扱う、悌、目下の者には思いやりを持って慈しみを持って接する、いや違うな、兄弟で言えば、よく兄に仕えて従順であること、忠、主君には忠義を尽くす、いや、いつわりのない心、まごころ、まこと、まめやか、まめやかて聞かないな、浮気でなく、真実の気持ちであること、心がこもって誠実なさま、信、欺かないこと、言をたがえないこと、まこと、ここらへんで広辞苑を参照したが、忠信の二文字で、忠義と信実、誠実で正直なこと、て意味もあんやな、信実てなに、まじめでいつわりのないこと、正直、やと、そういう重要・重大なことにはほとんど無関心で、それで居ながら、そのマユツバのオカルトに夢中になってな、自分がバカにしているモノをありがたがるっつー、なんなんですか?このザマは、言をたがえすぎ、信、に足らないにもほどがある!ってなもんでな、こんなドぐされどもの言う事を信じるほうがバカらしい、そんな世の中でありますでしょう、思い込みってのは実に恐ろしいっちゅーはなしや。

鷲から見れば、つまり高い空の上からホークアイとも呼ばれる高性能の視覚機能を備えたモノ、から見れば一目瞭然の無間地獄やがな。

信じるに足るモノは、ニンゲンではない。

ニンゲンがそれを仕事として従事した結果としての、組織の機能、でしかない。

それが、今現在の現在地。

それを示すために、信長と光秀が演じた、本能寺の変。こうなるわけやな。

どう考えてもそうなるやろ。あれだけ文武に優れた者ふたりが、よりにもよって、本能寺てあんた。ワザと演っとるでしょそんなもん。あれだけの長い手紙を、文書を、書けますかあなた。人の心に響くように練りに練られた文章を自筆で達筆で。それもモノごっつい数書いてはるんやで。比べるまでもないがな。

はい。認知戦はオレの勝ち。

また勝ってしまった。敗北を知りたい。いや知ってるけども。

などと述べており、そののち彼は、気絶するように気絶していたのであった。

と、以上までが、この度新たに発掘された、私の部屋の押入れの奥深くの方に眠りに眠っていた、在りし日のジャポニカ自由帳の大体108ページ目の記述であった。

果たして、この自由帳、たれの?