仕事の本質と個性の尊重の対立問題


ひとつ。仕事の本質。
機能を果たす。これだけである。

ふたつ。個性の尊重とは?
ちょっと何言ってるかわからんな。
解きほぐす必要があるだろう。

個性とは?
例。背が低い。鼻が低い。頭が高い。頭髪部を月代に髷としている。舌が短い。耳が柔道家のように丸まっている。背中に刺青が入っている。肌が肌である。体が硬い。など。
対象の人体に現実している特徴。
これは、物理的な見方について。

心理的な見方について。
例。水が好き。アイスが嫌い。愛することも嫌い。愛という言葉自体の指示範囲が広すぎて曖昧であるため使いたくないという思想を持っている。不妄語戒に従い必要な場合以外殆ど喋らないとの信条を保持している。日本がキライ。和食もキライ。つるつるのつぼが好き。ザラザラのつぼも好き。などなど。

これらが個性である。
かような個性を尊び重んじるべき、とするならば、仕事の本質を満足させること能わず、ともなりうる。

即ち、仕事の遂行において、組織内において、個性の尊重は明確に否定される。仕事となれば、嫌なことややりたくないことも、せねばならない。

ここの理屈の時空に、あやまちが、忍び込んでくる。即ち、基本的人権の尊重を軽んじること、を、個性の発揮の否定、と、綯い交ぜにして、仕事のあるべき姿を定義する、非道が一見、正当に見えるように偽装して、世間に認知させるのである。

なぜか?

利を得る側の渇愛(パーリ語でタンハー)に基づく。強い欲望、多くの場合、カネの力への欲望であるが、人を虐げて愉しむ快楽、これの場合もあり。
アドラー心理学では、
『すべての悩みは人間関係の悩みである』
としているが、さすれば欲望も、人間関係に関するものが多いであろうことは容易に想像できる。

この事実を、よく知るがいい。
この分離すべき二者を。
『個性の尊重』と、『基本的人権の尊重』と。

仕事において、個性の尊重は、いわば、組織において果たすべき機能は多岐にわたるものだが、その一部分、『世界は誰かの仕事で出来ている』とは缶コーヒーのBOSSのCMキャッチコピーだが、小さな仕事の積み重ねの総合で出来ている組織全体としての機能のひとかけら、この一欠片の機能に資する、つまりそこで役に立つ、そのような個性を生かす、ということであり、これが、仕事と個性の尊重の関係性である。

人の気持ち、求めているもの、などを、対話を通じて引き出し、自組織の機能との合致を見いだし取引関係を取り結ぶことを提案し、組織の利益に貢献することが得意な者が、営業を担当する、など。
習得に長い年月を必要とする技術を修めた者を、その技術が役立つ部門に起用する、など。

機能に貢献しない個性は、機能発現の場において、基本的に、不要である。

………お前、怖いんだわ。
酷すぎだろお前。
そんな厳しいこと言っとったら、非人間的すぎるだろ。

そうかね。基本こうじゃないか?

まぁそうだろうけどさ、言い方ってもんがあるだろうよ。お前優しい人になることを推奨する立場をとるんじゃなかったのかよ。自分は例外かよ。

いいや、例外ではない。
推奨される人間状態であろうとするからこそ、じゃ。

ま、まぁな。人権侵害が起こっているのが現状だと認識しているんだな。まぁわかるよそりゃ。でも、人情ってもんがあるだろうよ。

だからな、この構造を認識した、その段階を踏まえて、それからの話、だってことなんだよ。個性の話はな。いらない個性を発揮する場は、遊びの場になっちまうからな。

守るべき事項は守る、と。厳しいもんだな、やはりな。社会というものは。

そうだな。まず、機能というものを果たすべき所を、果たさずともそれで良いとするのなら、定食屋に行ってコンビニの菓子パンしかお品書きになくとも仕方ない、となってしまう。そんな店は潰れるだろう。

まぁ、そうだな。……でも、組織が大きくなってくれば、人間の数も増え、人間関係も複雑性を増す。そんな中では対立や不和もあるだろう。それはどうにかしなきゃならんだろう。そのような、組織内での利害を調整することも必要となってこないか?

確かに、そうだな。偉そうな、知ったふうな口を叩いてはみたものの、私もまだまだダメダメだな。でも、「ダメ人間でいいじゃないか、ダメ人間だもの」。

まあ、あんまり偉そうにしない方が良いんじゃないか?

そうだね。そこでやめといたらよかったな。ってどこで?

お前が新たに見いだしたと思ったところだろ。

ま、僕ちゃんオネムなの。疲れなんだよ。

じゃ、おつかれさん。