『信は力なり』の解析


ハイ先生。

何でしょうか?

『信は力なり』の解析をされるそうですね。

はい。

先生のことですから簡単にされるのでしょうけれども、先生は、『行間を読む』や『文章に余白を与えて読む人の心をくつろがせる』といった考えについてはどうお考えですか?

そうですね。その辺りの余裕の無さが私の欠点と申しますか、人間誰しも完璧であることはありえませんので注意しなくてはならないのですが、ついつい主題について本気でかむかふと、カムカフという言葉は本居宣長の説で、カは間投詞的なもの、ムは身、カフは交わすの古語交うのことで、この話は小林秀雄がしていたもので、私は直接に本居宣長の原典に当たったわけではないのでそこは小林秀雄を信頼するしかないのですが、その『かむかふ』が、現代語の『考える』の古典的な形『考う』、かんがう、の成り立ちのもとであるということでして、つまり、ある主題と己の身をもって触れ合い格闘する、といった事が、『考える』の元々の意味とされるわけですが、そうして完璧にテーマの本質を掴んだという確信に至ってしまうことがありまして、そのような確信が本当に事実と相違ないかどうかは疑いを容れざるをえないものでして、そのようにして、あなたのご指摘の点について盲点に入ってしまう事があり、それは私の不徳のためであり、反省しきりです。

珍しく長く発言されましたね。私たちは毎日のようにこの教室に一緒に居ますから、仰ることはよくわかります。先生がそのような『情緒的なもの』に鈍感であることは私にもよくわかります。でもそれは、常に客観的であろうとする先生のお立場からすれば、致し方のないことだとも理解しています。そして、先生のそのような姿勢のもたらす恩恵は、鈍感のデメリットを遥かに凌駕するものであることも理解し、感謝しております。どうぞ、私の先ほどの質問についてお気に病まれることのないようお願い申し上げます。

お気遣いありがとうございます。ご質問のおかげで、それに答える過程で、私の気の詰まりもやわらぎました。

それは良かったです。それでは、解析をお聞かせくださいませ。ご拝聴いたします。

はい。人偏に言う、と書いて信、つまり人に言う、ということが、信、なんですね。人に言うときには、その人に聞いてもらえるとわかっていなければなりませんね。だからこそ、言えるわけです。それを繰り返し、信じ合う関係が深まっていくわけです。ここまではよろしいですか?

はい。

一方で、皆さんにも、人に言えない場合があると思います。それはどんな場合ですか?

ハイ。

どうぞ。

相手が聞く耳を持っていない、ように見える場合や、それを言うと怒られるような悪いことを白状しなくてはならない場合、があると思います。

そうですね。その二者について述べましょう。前者は、行場のない言葉が行先を見つけて、それが実は悪党だった場合、不良集団が形成される恐れがあることが予想できますね。後者は、怒られる勇気さえあれば、仲間の信頼の輪の中にとどまることができます。なければ前者と同じ凋落に至ることにもなりかねません。

このようにして、集団の中の一人として、互いに助け合うことが出来るようになり、力を発揮できる範囲が広くなり、自分の力が強くなるわけです。よろしいですか?

はい。

どうぞ。

なんとなくは分かりますが、それは仲間と力を合わせたから全体として強い、のではないのですか?

それもありますね。しかしここでは一人の個人について見てみましょう。仲間外れ、疎外感を感じる、そんな心持ちにある際、皆さんは力が湧いてくると思いますか?はい君。

いいえ、気鬱になって体が重く感じると思います。

信じ合う関係が築けていない場合、本来の力を発揮することも阻害されますね。このあたりで、解析は終わりです。

他に何か、質問はありますか?

ハイ先生。

どうぞ。

好きな人に想いを伝えたい、と思う時、言えない、という場合は、どうですか?

そうですね。好悪については、人それぞれあるものですね。これは主観的な感情で、そこで止めるべきものです。好悪を育ててしまうと、貪欲と怒りに育ってしまい、さらに進むと異常なほどの欲と怒りになってしまいます。これは仏教で教えられていることです。

ご質問の場合とは反対に、嫌いな人に嫌いだと思いを伝えることは明確によくありませんね。喧嘩になってしまうでしょう。好きも同じなんですね。

そのため、感情ではなく客観的なことを表現した方が良いのです。夏目漱石が「月が綺麗ですね」とアイラブユーを翻訳したのはそれが理由です。

わかりました。では嫌いな人に対してはどうすればよいのでしょうか?

同じですね。客観的なことを表現するように努めることです。ルールや規則に基づいて、客観的な事実に基づいて会話をする。

この行為と、信、の過程は両立しうる、ことがおわかりでしょう。

他には何かありませんか?

ないようですね。何かあれば、後ほどでも仰ってください。

ではみなさん、ご清聴ありがとうございました。